「一番面白い文章書いたヤツに当日パンフのコラム書いてもらうから。
11月9日までにブログになんか書け」
そんな代表の鶴の一声により、
何か、書かなくてはいけなくなりました。
当然、何を書いたものかと悩むわけです。 そんなとき某団員が自作の詩を見せてくれました。 その中の一編の題材が うんこ だったのです。
「あー、うんこいいね。私もうんこのこと書くわ」
冗談のつもりでした。
それなのに、もう、うんこのことしか考えられない。
帰り道、ひとりで電車に揺られながら、 甘いミルクの香りの湯船に浸かりながら、
布団に潜り込んでスマホを弄りながら、
頭の中は、うんこ一色。
それこそ、クソ真面目に、うんこについて考えているのです。
かつてフロイトだかバタイユだかは言いました。
「人間が持つ最初の秘密はうんこである」と。
トイレという隔離された空間で、 子どもがはじめて親の手を借りず一人でうんこをする。
そして誰かの目に触れる前にレバーを捻って、この世から消してしまう。
生まれてはじめての秘密が誕生する瞬間です。
小さい頃、はじめて一人でお留守番をしたときのことです。
「ひとりきり」という未知の体験に興奮したのでしょう。 お腹が痛くなってしまい、慌ててトイレに走りました。
あとは、お察しの通り。
泣きじゃくりながら、必死で洗面所まで椅子を運んでよじのぼり、 こどもちゃ◯んじの付録の雑巾で汚れたパンツを洗いました。
そしてそのパンツと雑巾を、おもちゃ箱に隠したのです。
怒られるのが怖かったのか。 粗相をしたことが恥ずかしかったのか。 はっきりとは覚えていませんが、 とにかく幼い私は、秘密が暴かれることを恐れたのです。
恐れながらも、早く母親が帰ってきて うんこまみれのパンツを見つけて、
うんこを漏らしたという秘密から 私を解放してくれることを望んでいました。
ときどき、人からミステリアスだと言われることがあります。
たしかに私は、秘密の多い方かもしれません。
自分をさらけ出すことが、 怖くて恥ずかしくて堪らないのです。
しかし一方で、暴いてほしいという願望もあります。
大人に分類される年齢になっても私の中には、 うんこを漏らし、しまじろうの刺繍入り雑巾を握り締めて 泣きじゃくる少女が住みついたままなのです。
そうか、私は、この内なるうんこ少女を慰めるために演劇をしていたのか。
自分自身のままで暴かれるのは怖いけれど、 役としてなら、自分をさらけ出すということを擬似的にでも体験できる。
まさかうんこから、こんな事実にたどりついてしまうとは。
今後、どんな気持ちでうんこと向き合えばいいんだ。
ただの絞りカスだと思って侮ってはいけませんね。
…「うんこ」じゃなくて「うんち」と書いたほうがかわいかったかしら。
おわり。
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