王様企画劇団員、池田ユリヤです。
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私は毎日コーヒーを飲んでいる。
私達の生活の中にコーヒーは当たり前のように溢れている。
先日『A Film About Coffee』という映画を観た。
『当たり前は当たり前じゃない』
そう強く思わざるを得なかった。
コーヒーって無限の世界が広がっていて、私もそれはなんとなく知ってるつもりだった。
高いコーヒーは産地が特別で、
貴重な豆なんでしょ、程度の感覚。
それから、香りが違うとか、苦味が強いのか酸味が強いのか、とにかく無限に色々な種類や味があることくらいしか知らなかった。
スターバックスや星野珈琲、タリーズに猿田彦珈琲····その他珈琲専門店は無数に存在する。
そう、その程度しか知らなかった。
普段私達の前にあたり前のように鎮座する一杯のコーヒー。
とんでもない労力と情熱と価値があるんだって突きつけられた。
コーヒーの苗を植えて約4年を経て深紅の実をつけ、そこから収穫、脱肉、水洗、乾燥、脱穀、選別が行われる。
選別までの過程には大変な労力が隠れている。
収穫を手摘みでしている農家。
考えただけで気が遠くなる作業………。
乾燥作業までの脱肉、水洗も人の手で行なわれる。今は機械もあるのだろうけど、家族皆でやってる農家もまだある。
乾燥作業は均一に乾燥させるために何度も何度も豆を混ぜながら丁寧に行われる。
選別も一粒一粒手作業。
それからは、
カップテストと言って、
厳しいコーヒー豆の品質チェック、
香りや味の確認が行われるのだ。
わざわざコーヒーの産地まで直接行ってカップテイストするテイスターもいる。
そして、最高品質の豆を自分の店に高値で買い付け契約し、農家さんの生活を支える。
生活を支えるために高値で買ってるのではなく、もちろん豆に惚れ込んで、の話。
更にその豆の特長を生かして焙煎を浅煎りにするのか深煎りにするのか、など追究したうえであの茶色がかったコーヒー豆ができるのだ。
その豆にとっての最高の挽き具合も追究。
更にバリスタがどのドリッパーやエスプレッソマシーンを使うか、お湯の温度、水、フィルターの種類、サイフォン式、など多数の道具の中から選び抜かれ、バリスタの最高の技術をもって、美味しい至極の一杯のコーヒーが完成するのだ。
バリスタはコーヒーを淹れるプロと同時に接客のプロでもある。
大坊珈琲の大坊勝次さんは珈琲界で伝説の男と呼ばれている。現在大坊珈琲は閉店しているが、かつて大坊珈琲を経営していた大坊さんは自分でコーヒー豆を選び、焙煎し、ブレンドし、ネルドリップ(布製のドリッパー)でコーヒーを淹れ、更にはお客様に合わせたコーヒーカップから見立てていたのだ。
ネルドリップは熟練した技が求められ、
素人ではなかなか使いこなせない。
そこまでされた一杯なら高価でも納得。小さいカップ一杯で、1000円以上、いやもっと払うべきだと思った。
その美味しいコーヒーが手作業でしかできないのなら、なおさら時間と値段を比例させないといけないって。
たまたま、ちょっと値段の高いコーヒーの粉が自宅にあったのでドリッパーで淹れて飲んだ。
映画を観た後のそれは、とんでもなく感慨深い味がした。
淹れたての温かいコーヒーは、まず香りを楽しむ。コーヒーの香りが脳内を刺激してリラックスタイムへ誘われる。
少しずつ温度が下がってきたら
味も楽しむ。
口の中いっぱいに広がる苦味と酸味、後味の清々しさ。
生産者の農家さん、カップテイスター、焙煎師、バリスタ、それぞれの磨き抜かれた熟練した技術が集結した一杯なのだ。
だから私達の当たり前に溢れてる世界は当たり前じゃない。
コーヒー以外にも沢山ある。
普段食べてる野菜、肉、魚、乳製品。日用品、機械もそう。
改めて、当たり前が当たり前じゃないことを感じ、常に感謝の気持ちで人や物事に関わることが大切なのだ。
そう思わせられる映画だった。
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